坂爪 圭吾 さんという自由人のひとが書いてた
「たとえば大切な何かを喪失した時、自分にとって大切だと思う人に、
自分は何も力になることが出来ないのだと身をもって痛感させられた時に、
私達は自分の無力さを痛感する。引き裂かれるような痛みがあるからこそ、
過去に何度も「そのこと」を実感したことがあるからこそ、
逆に、誰かの力になることができたという実感の中に、まるで、
いままでのすべてが星々の瞬きのような輝きを帯びて自分の日々に報いてくれるような、
「生きていて良かった」と感じることが出来る喜びを覚える。
出来ることなら惨めな気持ちにはなりたくない。
自分の無力さを痛感すること以上に、少なくとも、
それと同じ程度には「自分は誰かの力になることができる」ということを実感したい。
何かを後悔する気持ちは、
これ以上は後悔をしたくないということを気付かせてくれるひとつのサインで、
できることなら後悔の日々は終わりにしたい、
できることならこれで悲しみを最後にしたい、
できることなら自分にとって大切だと思うひとに何かをすることができる存在でありたいと願う痛切な祈りが、
明日を繋いでいくのだろう。」
そうだね。
たしかにそうだと思う。
posted by 編集長ひでお at 12:36|
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日記